自分で決めて、責任を持つ。
今まで正社員として働いて来たけど、本心ではそれほどお金を求めていない自分がいる。
車や家に興味ないし、子供を持つつもりもないし、ブランド品が欲しいとも思わない。
特にコレクションの趣味もないし、家と食事とネットがあれば充分。
毎朝吐きそうな気持ちになってまで、会社勤めを頑張る理由が見当たらない。
それでも今の状態は全て自分が望んだものなんだよな。
自分で技術系の学校を選んで自分で会社の面接を受けに行き、そして今がある。
それなのに、何故か苦しんでる。
本当に、何がしたいのだろう。
いつの間にか誰かにやらされてる気持ちになっている。
昔から自分というものが希薄なんだな。
思えば子供の頃から「嫌だ嫌だ」で生きてきた。
勉強は嫌だけど親に怒鳴られるから我慢する。
クラスメイトに馬鹿にされるのは嫌だけど、喧嘩したくないから我慢する。
就職はしたくないけど、死んだりホームレスになりたくないから我慢する。
仕事は嫌だけど上司に怒鳴られるから我慢する。
仕方なくやっているから、辛くなる。
この生き方は辛くなることをこれまでの経験から学んだ。
だから仕方なくやるのは止めよう。もう全て辞める。
全て自分が選んだと、自分の責任だと思って生きていく。
自分で決めて、責任を持つ。
今まで正社員として働いて来たけど、本心ではそれほどお金を求めていない自分がいる。
車や家に興味ないし、子供を持つつもりもないし、ブランド品が欲しいとも思わない。
特にコレクションの趣味もないし、家と食事とネットがあれば充分。
毎朝吐きそうな気持ちになってまで、会社勤めを頑張る理由が見当たらない。
それでも今の状態は全て自分が望んだものなんだよな。
自分で技術系の学校を選んで自分で会社の面接を受けに行き、そして今がある。
それなのに、何故か苦しんでる。
本当に、何がしたいのだろう。
いつの間にか誰かにやらされてる気持ちになっている。
昔から自分というものが希薄なんだな。
思えば子供の頃から「嫌だ嫌だ」で生きてきた。
勉強は嫌だけど親に怒鳴られるから我慢する。
クラスメイトに馬鹿にされるのは嫌だけど、喧嘩したくないから我慢する。
就職はしたくないけど、死んだりホームレスになりたくないから我慢する。
仕事は嫌だけど上司に怒鳴られるから我慢する。
仕方なくやっているから、辛くなる。
この生き方は辛くなることをこれまでの経験から学んだ。
だから仕方なくやるのは止めよう。もう全て辞める。
全て自分が選んだと、自分の責任だと思って生きていく。
サンシャイン水族館に行って来た。
メンタルを病んでから、何故かペンギンが好きになった。
フォルムや人懐こいとこも好きなのだが、特に良いのはあのペタペタした歩き方だ。
歩き始めの幼児を見ているようで癒される。
ペンギンについて調べるうちに、池袋にあるサンシャイン水族館で「空飛ぶペンギン」が気になってきた。
医者からは「家にじっとしていなくて良い」と言われていたので早速行ってきた。
外は酷い猛暑だった。
家から池袋までは約1時間ほど電車を乗り継いで行くのだが、それだけでヘトヘトになってしまった。
目的の水族館にはお昼ごろ到着。
水族館に行ったのは何年振りだろう。
プラネタリウムと並んで子供の頃から好きだったが、男1人で行くのはなんだか気が引けてあまり足が向かなかった。
現実逃避もあって水族館に行ったのだが、色々な魚を見るうちに社会について考えてしまった。
水槽をボーと眺めていると平和に見えるが、きっと魚社会も人間と変わらず理不尽に満ち溢れているのだろう。
僕には表面しか見えないだけで。
あと覚えていることは、後ろから来たオバさんのグループが凄く喧しかったことだ。
オバさんは結構ヤンキー並にマナー悪い人が多いと思うのだけど「自分は良識のある大人です。」みたいな顔しているから不思議だ。
若い人は男女問わずすぐ「きもい」と言っていた。
自分が慣れ親しんでいない、理解できないことは「きもい」のだろう。「きもい」と言われると絶望的な気持ちになるが、そんな深刻な言葉ではないのかもしれない。
水槽のコーナーの次には東南アジアの生物のコーナーがあり、毒々しいカエルなどがいた。あまり興味は沸かなかった。
東南アジアコーナーを抜け、売店を通り外に出るとペリカンやアザラシ、そしてペンギンがいた。
ペンギンは高層マンションをバックにした水槽の中を元気に泳ぎ回っていた。
日常に溶け込んだ非日常。なんだかアニメや小説を見ているみたいで面白かった。
ペンギンは水槽の外にもいたが皆暑さのせいか活動を停止していた。
歩くところを見たかったので残念だ。
お昼を食べ、もう一度夜に水族館に戻ってみた。
夜の水族館は人が少なくてとてもリラックスして見れた。
昼に比べ大人しくなる生物も活動的になる生物もいた。
魚はそれでも怒られない。自由だ。
素晴らしかったサンシャイン水族館。
また行きたい。
感情の変化が鈍い。
今日はとある大御所歌手のライブに行ってきた。
正直しんどかったが、チケット買っちゃったし人生で一度は見てみたい人だったので重い腰を上げて都会に出た。
とてもヘトヘトになったが、見に行って良かったと思う。
とっくに還暦を迎えている大ベテランなのだが声には未だハリがあるし、バンドの演奏技術も間違いないのでとても良い、上質なライブだった。
しかし自分のメンタリティの問題で感動までは出来なかった。鳥肌は立つのだが心は地蔵のように動かない。不思議な感覚。
しかし、その歌手はライブ終盤で「色々大変なことはあるが、頑張って生きていきましょう」と言ってくれた。
先日の西日本の災害のことがあったからだろうが、なんとなく救われた気持ちになった。
どんなにダメな人間でも、死ぬ必要はないよな。
そういえばライブ前、会場の近くにある好きだった洋食屋に数年ぶりに行った。
しょっぱい、辛いは分かるのだけど美味いとは思わなかった。
最近は何を食べてもそんな感じだ。
つまらない
つまらない。
退屈だ。
これでは生きているのか死んでいるのか分からない。
俺の人生はつまらない。
呼吸する価値がない。
底辺でもがいているだけだ。
もはやこれまで!
なんの感情も浮かばない。
怒りも悲しみも焦りも消え失せた。
ただひたすらに横になりたい。
おそらく今週で会社に行くのは最後だ。
上司とは目も合わせられない。
後輩もどう扱っていいか分からないのだろう。距離をおかれている。
転職先も見つける意欲がない。
20代も後半の無職が出来上がる。
なんの希望もない。
もはやこれまで!
この顔HUNTER×HUNTERのビーンズに似ている。
働きたくない。
私はついタイトルの言葉を口走る事がある。
しかしこれは本心ではないことは自分でよく分かっている。
伸び伸びと気持ちよく働けて、給料もしっかり出て、それでいて人の役に立っていると実感できるような仕事があれば間違いなく働きたいのだ。
しかし現実は、上司の目線に怯え、給料はバイトと変わらず、やる意味があるのか分からないような仕事に取り組んでいる。
お客さんから感謝の言葉も受け取った事がない。
私が仕事中に気にしているのは仕事の出来よりも上司の機嫌である。
私の上司はそこまで悪人という訳ではない。
仕事はできるし顔もハンサムだ。
よって常に自信満々な男だ。
しかし、その自信のせいか、部下を小馬鹿にし、否定する癖がある。
私のような折れかけの小枝のような精神を持つ者にはそれが酷く辛く感じられる。
事なかれ主義の私は小馬鹿にされてもヘラヘラ笑ってしまう癖がある(幼少期の処世術だ。未だに引きずっている)。
すると「こいつはどこまで言っても怒らない奴なんだな」と判断され、真面目な質問をしても小馬鹿にしたような返答がくる。
こっちは質問をする度に傷つけられるので、もはや恐怖で質問も出来なくなる。
質問が出来なくなると怒られる理由が増える。さらに萎縮する。ついには会社にいけなくなる。
思えば子供の頃からこれの繰り返しであった。
クラスメイトの気が強い子に叩かれてもニヤニヤ笑っている自分は周りから見ればさぞ奇妙に映っただろう。
しかし私にはこれしかなかったのだ。
友好的なニヤニヤのお陰か心底強烈なイジメからは免れた。
しかし自分を抑えすぎて、本音が言えない、それどころか自分の本音が分からない人間になってしまった。
だからどこに行っても辛いし、全て中途半端に投げ出すのだ。
酷い時は、1人の時に考えていることと人に話している時とで内容が180度変わったりする。
しかし人に話している時はそれが100%自分の気持ちだと思っている。
そしてまた1人になり落ち込むのだ。「なんであんなこと言ってしまったんだろう」。
もっと自分の気持ちを汲み取り、そして勇気を持って人に伝えられる人間になる。
自分の本音が分からないままこの世で生きるのはあまりにも辛すぎる。