プリプリらいふ

僕は気楽に生きることにした。

恥の意識について。

※何が書きたいのか分からない文章だが書いたものは全て公開することにする。

 

2016年9月29日、今から約2年前。

当時28才の前田仁という男性が自宅で首を吊った。

 

 

彼はいわゆるニートだった。

 高校中退後、進学もバイトもせず家に引きこもり続けた。

 

 

彼は自殺する前にネット上に自分の来歴を記録したホームページを残した。

 

俺の人生

http://archive.fo/3LDAz

 

何が起きて、その時どう感じたか、というシンプルなことしか書かれていないが、何故か読み進めてしまう魅力がある。

私も気付けば最後のメッセージまで読んでしまっていた。

 

 

 

2年前の仁さんが自殺を決行した当時、ネット上でかなり話題になっていたのを覚えている。

単なる自殺ではなく、自分の生涯を赤裸々に記したサイトを遺して逝った事が大勢の興味をひいたのだろう。(自殺動画の配信もしていたのもある)

匿名掲示板にドップリ浸っているような人間は、多かれ少なかれ彼のような鬱屈とした気持ちを抱えているものだと思う。

異常なまでの記憶の明確さは、長い引きこもり生活で繰り返し繰り返し反芻した結果だろう。

自分の子供の頃の記憶なんて友人の名前や自分の住んでいた場所すら怪しい。

 

 

 

彼の文章の節々に感じるのは、「家族に対する怒り」と「劣等感」、そして「恥の意識」だ。

彼のホームページを見ると、思春期に近くにつれ「貧困家庭である事を隠そうとする行動」が周囲との距離を作り、修正されることのないまま引きこもってしまったように見える。

 

以下引用。

理由は、俺の住んでる家は平屋の家なんだけど、その事をクラスメートに知られるが嫌で、
意識的にクラスの人と仲良くならないようにしてたからです。 

それにプレステも64もなかったので話題もなかったし、
服もお下がりか静江さんが買ってきた服だったので常に劣等感を抱いていて、
だからどんどんコミュ症になっていったんです。

 

劣等感は恥の意識に繋がり、恥の意識はコミュニケーションを難儀にさせる。

彼はその後社会との関わりを絶ってしまった為に立ち直る機会も無くしてしまったのだろう。

 

 

腐る程言われていることだが、重要なのは「どんな環境にいるか」ではなく「それをどう捉えるか」だ。

貧乏なクラスメートなど珍しくもなかったし、最新のゲーム機なんて持ってる奴の方が少なかった。

しかし彼にとってそれはどうしても受け入れ難いことだったのだろう。 

そのような恥の意識は自分の首を締め続けるだけだ。

 

 

この件とは直接関係ないことだがタレントのマツコ・デラックスは「歯がない人は幸せそう」と言う発言をしている。

「やっぱりああいう人たちって歯がないことをどう思われようが『知ったこっちゃねーよ』って言って生きてる方たちだと思うのよ。お強いのか大らかなのかはわからないけれど、そういう精神をお持ちだと思う」

 

私なら歯がなくなったらいかにして隠すかを考えるだろう。マスクを外せなくなるかもしれない。

しかし「そんなことどうでもいい」と思う人たちも確かにいるのだ。

私はそんな人間になりたい。